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zoom RSS 看取りの空間-サンクチュアリとしての空間

<<   作成日時 : 2006/08/18 18:43   >>

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やまちゃんです。


今日は、しばし、閑話休題です。





現代は病院や施設などで最期を迎える方が多いようです。




自宅でPPK(ピンピンコロリ)を全うできる人なんて、実際レアもの。






私の勤めている療養型の病棟においても、年間40〜50名位の方がお亡くなりになっています。





私は、今の職場に勤める前は、緩和ケア施設に長くいましたので、働き始めた当初は療養病床での看取りにかなり戸惑っていました。










というのは、









うちの病棟には個室がないんですよ。

主に4人部屋。差額ベッドとしては、2人部屋が少しあるだけです。




病状が重い人やケアの密度の濃い人、目の離せない人は、ナースステーションに近い4人部屋を3部屋当てています。



急変以外は、これらのお部屋で最期を迎える方がほとんどです。








そうです。







うちでは、大部屋で看取らざるを得ないのが現状なんです。





このことは、お亡くなりになる患者さんやご家族、一方では、同じ部屋にいるほかの患者さんにとって、辛い状況となる場合が時にあるようです。









死は隠すものではない。
誰にでも訪れるものである。









デス・エデュケーション(死の準備教育)の概念は、この事を根底に孕んでいるようですが…、



人生80年とすれば、死とは、苦節80年、日にちにして約3万日を過ごした果てに訪れる、めちゃめちゃ特別な日です。



つまり、死ぬことは、人にとって、非日常的なことであって然るべきなんです。





私は、看取りの空間は、日常の生活とは次元を分かつものであるべきだと考えています。





それは、「死を隠す」という意味合いでなく、そこは、霊的な空間、





サンクチュアリ




なのだと思っています。





その空間は、生きているものと死にゆくものの境界であり、残されるものが去りゆくものを悼んで、心置きなく嘆くことのできる場所。まあ、これは理想論ですけどね。


もし、そのような空間を死に行く人と共有することができれば、残されるものにとって、お別離のためのひとつの区切りになるはずです。








一方、同じ部屋の患者さんにとっては、ほかの患者さんの死を身近に体験することは、かなりショックなことのようです。




病状が重かったり、気管切開を受けたりしていて頻回の吸引が必要な方などでも、精神的にクリアであったりするんです。
たとえ、話すことができなくっても、感じる能力は残っている患者さんは結構おられます。



カーテンで仕切るだけって、あまりにも気の毒ですよね。





当院では、このことはハード面での問題であるので、どう考えても改善しておくことは難しいのですが…。






ただ、この現実に慣れちゃあいけないって常々自分に言い聞かせています。





ちぃっちゃな配慮しかできないけど、ちょっぴりサンクチュアリ的な支援ができるよう、ベストを尽くしていきたいな…って思って何年か経ちましたが、現実はなかなか厳しいですな。その場に直面すると、いっぱいいっぱいで…。




もっと、こーすれば良かったと、後悔の連続です。



でもね、自分をあきらめちゃあだめだよな。







頑張りますよ〜!

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